抗菌薬の予防投与にまつわる話
こちらの記事は、『感染性心内膜炎とは?』の補足記事です。
歯科処置後に発生する一過性の菌血症(血液中に細菌が侵入すること)は非常に高率で、抜歯後はほぼ100%発生すると言われています。歯科処置を行う時に、感染性心内膜炎の予防目的で抗菌薬を投与することが1950年代から多くの国で推奨されてきました。
しかし、抗菌薬の予防投与によって、抜歯後の菌血症の発生が減ったという報告はありますが、感染性心内膜炎の発生が減ることを直接証明した報告はありません。また、「日常の歯磨きやデンタルフロスの使用でも軽微な菌血症が日常茶飯事的に起こるので、歯科処置の時だけ抗菌薬を処方しても意味はない。それより、口腔衛生を徹底する方が重要だ」という指摘もありました。さらに、抗菌薬アレルギーなどの副作用や、抗菌薬が効かない耐性菌の発生を助長する可能性などのデメリットも心配されてきました。
このような議論を踏まえて、フランス(2002年)、米国(2007年)、欧州のガイドライン(2009年)では、相次いで抗菌薬の予防投与は感染性心内膜炎の高リスク患者に限る(中等度リスク患者には投与しない)と改められました。2008年には、英国国立医療評価機構(NICE)がさらに踏み込んで、高リスク患者・中等度リスク患者どちらに対しても抗菌薬の予防投与を全面的に中止することを提言しました。
英国では、NICE提言直後の5年間(2008〜2013年)に、抗菌薬の予防的処方件数は提言前の2割以下に減少し、感染性心内膜炎の発生はわずかですが統計学的に有意に増えてしまいました*1。その増加は、高リスク患者だけでなく中等度リスク患者でも認められました。
さらに、2004〜2014年の予防投与の集計*2では、第一選択薬であるアモキシシリンの処方が300万件近くありましたが死亡例は皆無で、アモキシシリンの安全性は極めて高いことがわかりました。これら2つの事実により、アモキシシリンを予防投与することの正当性が暗に示された形になりました。
その後、NICEのガイドラインは2016年に、「感染性心内膜炎に対する抗菌薬の予防的投与は、日常的には推奨されない(Antibiotic prophylaxis against infective endocarditis is not recommended routinely)」と改訂されました。歯科処置を行う時に当たり前のように抗菌薬を処方することは推奨しないが、抗菌薬を予防投与すべき患者さんはおられるという事実を認めた改訂でした。
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感染性心内膜炎の発症や重症化のリスクと、菌血症が発生しやすい検査や治療についてまとめた表です。表上段の「感染性心内膜炎の発症や重症化のリスクとなる疾患や患者背景」が高リスクの場合が「高リスク患者」、中等度リスクが「中等度リスク患者」です。
参考資料:日本循環器学会 感染性心内膜炎の予防と治療に関するガイドライン(2017年改訂版)
そのような中、我が国のガイドライン*3では「高リスク患者に対し推奨する」「中等度リスク患者に対し提案する」と記されており、救済範囲が広い抗菌薬の予防投与を引き続き推奨しています。感染性心内膜炎の死亡率は高く、もし発症すれば重篤な結果を招きます。抗菌薬の予防投与で救える患者さんは多くないかも知れませんが、1回の内服で感染性心内膜炎による身体的苦痛、生活への悪影響、経済的ダメージが回避できる可能性があるのならば意義があるという判断です。
*1: Lancet 2015;385:1219-1228
*2:J Antimicrobial Chemotherapy 2015;70:2382-2388
*3 :日本循環器学会 感染性心内膜炎の予防と治療に関するガイドライン(2017年改訂版PDF)
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