<サイドメモ>僧帽弁狭窄症の外科的治療(イノウエ・バルーン)
こちらの記事は、『心臓弁膜症>心臓弁膜症の治療』の補足記事です。
ほとんどの僧帽弁狭窄症(MS)は、リウマチ性弁膜症です
リウマチ性弁膜症は、小児期にリウマチ熱(溶連菌感染症)に罹患した後、何年もかけて弁の変化が進行し30代から50代になって心不全として発症します。リウマチ性弁膜症の弁は分厚くなって癒合し、鍾乳洞のような外観になります(下の写真)。固く動かなくなった僧帽弁は、MSや僧帽弁閉鎖不全症の原因となります。
左は弁膜症のない僧帽弁です。前尖(画像内*印)は透き通るほど薄く、細い紐のような腱索(矢印)が弁尖の縁から乳頭筋につながっています。右は、リウマチ性僧帽弁狭窄症です。弁尖と腱索(矢印)は厚く肥厚し融合して鍾乳洞のような外観です。
左写真:自験例
右写真の出典:the heart.org Medscape, Pathology of rheumatic heart disease
リウマチ熱がほぼ制圧された先進国では、リウマチ性弁膜症をみることはほとんどなくなりました。しかし、アフリカやアジアなどの発展途上国では、いまだに猛威を奮っています。しかもリウマチ性弁膜症は、若年層から中年層で発症することが多いので、社会経済的な影響が大きくその対策は極めて重要です。
どんな手術をするの?
MSの外科手術は人工弁置換術が基本で、僧帽弁交連切開術も行われています。
第二次大戦後の1940年代後半から、心臓を切り開き心臓の内部に対して手術操作を行う開心術が始まり、MSに対しても非直視下僧帽弁交連切開術(CMC)が導入されました。交連部とは弁の切れ込み部分のことで、交連切開術は癒合した交連部を切り開く手術です。CMCには、手探りで狭くなった僧帽弁の開口部に指を入れて弁を裂く方法(用指交連切開術)と、左心室を切開して拡張器具(経左室僧帽弁開大器)を用いて弁を拡げる方法がありました。用指法には限界がありましたが、拡張器具を用いる方法では一部の患者さんを除いてうまく僧帽弁狭窄症が解除できていたようです。
1960年代になり人工心肺が開発され心臓を止めて手術ができるようになると、直視下僧帽弁交連切開術(OMC)が主流となりました。OMCは、左心房を切り開いて、肉眼で確認しながら癒合した交連部をメスで切り開く手術です。OMCの導入により手術成績は向上しましたが、人工弁の開発に伴い1970年代後半からは人工弁置換術が主流となり、交連切開術はほとんど行われなくなりました。
バルーンカテーテルで行う手術もあります
OMCに代わって考案されたのが、狭窄した僧帽弁をバルーンカテーテルで拡げる治療、経皮経静脈的僧帽弁交連切開術(PTMC*1)です。1982年に、心臓外科医の井上寛治先生*2 が、自ら考案した画期的なイノウエ・バルーンを使って、世界で初めてPTMCに成功しました。当初、PTMCは国内ではなかなか広まらず、中国やインドなど国外で注目を集めました。
1986年に、井上先生がアメリカの学会(アメリカ心臓協会学術集会、AHA)でPTMCの治療成績について発表したところ、ものすごい反響だったそうです。その学会場で井上先生の発表を聞いた日本人医師たちが、次々とPTMCをやり始めて、みるみるうちに日本国内でも広まりました。初めての臨床応用から約40年の歴史があり、国内外のガイドラインではMSの第1選択の治療法に位置付けられています。僧帽弁のリウマチ性変化が高度でなくPTMCに適合している場合は、PTMCが行われることが多いです。僧帽弁の変化が高度の場合は、人工弁置換術あるいはOMCが選択されます。
今や、世界中で様々な心疾患に対して様々なカテーテル治療が行われていますが、これらのカテーテル治療の先駆けとなったのが井上寛治先生のイノウエ・バルーンだったのです。
イノウエ・バルーンの外観写真です。カテーテルの先に付いているバルーンに圧を加えていくと、先端から手前に向かって順次膨らんでいきます (B→C→D→E)。バルーンのくびれ部分 (D) で狭窄した僧帽弁を拡げます。
出典:僧帽弁交連切開術(PTMC)の開発 ―井上寛治先生に聞く 心臓 2007;39:57-68
PTMCのレントゲン写真です。バルーンカテーテルを足の付け根の静脈から右心房まで進めた後、心房中隔を貫通させて左心房さらに左心室まで進めます(A)。膨らみ具合がわかるように、バルーン内には薄めた造影剤を注入します。バルーンの先端が膨らんだら、バールンを引き寄せ僧帽弁に密着させます(B)。さらに膨らませると、バルーンのくびれが弁の開口部にはまり込み(C)、狭窄した僧帽弁が拡がります(D)。
出典:僧帽弁交連切開術(PTMC)の開発 ―井上寛治先生に聞く 心臓 2007;39:57-68
*1:Percutaneous Transseptal Mitral Commissurotomyの頭文字から、PTMCと呼ばれています。
*2:ウィキペディアの井上寛治先生の紹介ページでは、イノウエ・バルーンの開発の経緯が紹介されていて非常に興味深いです。
井上先生は、PTMC研究所(京都市)の所長として現在もご活躍中で、国内外の後進の指導にあたっておられます。リウマチ性MS患者さんが今でも多いアフリカやアジアの発展途上国に渡航して、PTMCの現地指導もしておられるそうです。興味のある方は、是非、ご一読ください。
[関連記事]